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視覚芸術家ソ・ダソムの連載 「Texture」第八回

日本はもうすぐ梅雨が明けそうですが、韓国は先日梅雨入りをしたよとダソムから連絡をもらいました。

コンテンツを更新している本日。担当の小池は釜山に来ているのですが、連日お天気に恵まれ、雨が降っても霧のような小雨で気持ちよく歩くことができる程度。そのかわりといってはなんですが、日差しが強くてすぐに喉が渇きます。今回のテキストに登場する「コーヒービーン」が泊まっているホテルのすぐそばにあって、連日通っているものだから「昨日もいらっしてくださいましたよね?」と店員さんが顔を覚えてくれていました。アイスアメリカーノを頼んでしまいがちですが、この季節の韓国はスイカジュースがおいしい。コーヒービーンで飲んだスイカジュースには、ミントが添えられていてさわやかでしっかりスイカの味がしました。

8回目となる今回は、韓国の外食文化についてのダソムの考察。では、どうぞ。

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今回のエピソードは、前回のエピソードで取り上げた韓国の「モクパン」や「マッチッ」「配達文化」についての話に続いて、韓国の食事文化の中で著しい現象である「はやりの食べ物」について話しをしてみようと思う。 流行に敏感に反応することは、ファッション、音楽、食など様々な分野の大衆文化に現れる(韓国の)特徴だ。このような現象は、私の幼少・青少年期である1990-2000年代からその傾向がより顕著だったように記憶している。1990年代の韓国は経済成長に合わせて都市化が完成段階に至り、いわゆる「グローバル化」に没頭する。これは飲食の分野についても例外ではなく、1988年のソウルオリンピックを起点として、海外との交流が拡大し、韓国の食に対する強調を形式的にでも実践するようになり、その端的な例として1998年から全国の小学校で実施された学校の給食でキムチが必須のおかずとして指定されたことを挙げることができる。世界の流れに足並みを揃えつつも、表面上は自分たちのものを根付かせようとしたその時代の傾向について、この小さな事件を通して推測することができる。

1990年代-2000年代序盤の韓国のフランチャイズ食堂と外食文化

【貝焼き】
私が記憶している貝焼きの店の様子。
ひとつの通りにも複数の店が軒を連ねるほど興行した。

1990年代の韓国は経済力の中心であるマンション、そのマンションの商店街を中心にとしたデリバリーフードが成長し、値段の安い飲食店が路地を埋め尽くした。大都市、地方都市を問わず、少しでも有名な飲食店はフランチャイズの営業方式を導入し、全国的な拡散を試みた。このことによって、歴史と共に存在していた長く続く飲食店の大部分が消え、全国どこでも似たような飲食店が同じメニュー、同じような看板を掲げる時代となった。

 

いくつかの記憶に残る業態は、1990年代中・後半の食べ放題の貝焼きや焼き肉店の流行、そして様々なブランドのファミリーレストランなどである。特にファミリーレストランは、1988年ソウル特別市江南区新沙洞にオープンしたCoco’s(ココス)。このブランドは、アメリカ・カリフォルニアスタイルの料理を提供しながら、韓国国内の外食文化にファミリーレストランを導入した代表的な事例だということができる。ピザハット、マクドナルド、バーガーキング、KFCも1990年代に大ヒットしたことは確かだが、これを契機にファミリーレストランがより多くのイベントと料理で大衆を魅了した。Sizzler(シズラー)、Bennigan’s(ベニガンズ)、Outback Stake House(アウトバックステーキハウス)、T.G.I Friday’s(ティージーアイ・フライデーズ)をはじめ、外国企業の国内フランチャイズの形で多数のファミリーレストランが登場した。私が中学・高校に通う頃、1990年代後半~2000年代初頭に家族での食事を始め、その後は友達と誕生日パーティーをする場所として大きな人気があった。

その中でも個人的に好きだったブランドはベニガンズなのだが、チーズスティック、丸ごと焼いたジャガイモ、バッファローウィングが一緒に出てくるベストサンプラーや、七面鳥のハムとチーズ・イチゴジャムなどを入れたサンドイッチを揚げ、衣をつけてシュガーパウダーをまぶしたモンテクリストサンドイッチが特別においしく感じた(今思えば、ものすごいカロリーと健康を打撃するレシピだ)。ベニガンズは1995年、韓国の製菓メーカーである東洋製菓と提携し、韓国では大学路(テハンノ)に初めて店舗をオープンした。当初は各店舗ごとに、アメリカの主要都市名を冠したコンセプトで営業していた。COEX店はシアトル、梨大店はニューヨーク、海雲台店はマイアミと名付け、アメリカから輸入した雰囲気が漂っていた記憶がある。それ以外にも、リクエストをするとポラロイド写真を撮ってくれたり、歌を歌ってくれたりするイベントがかなり流行した。韓国では商標の使用権だけを受けて営業する別会社だったため、アメリカのベニガンズが倒産した時も運営され続けた。

私の記憶の中では韓国のベニガンズは2000年代初頭まではある程度の人気を維持した。しかし、中盤から人気が衰えると、ベニガンズは変化を試みた。健康的なイメージと組み合わせるマーケティングを試し、一部成功したのがMarket-O(Organicの略のようだ)というブランドだ。ベニガンズが高カロリーの洋食中心とするなら、Market-Oはこれとは対照的にウェルビーイングを標榜するコンセプトだった。東洋製菓が基本的に製菓メーカーとして安定的であったため、ブラウニーやリアルチーズポテトチップスの2種類が、高い値段ではあったが良い材料を使っていて、(既存の商品の)軽いもの真似ではなく、製菓でブラウニーや高級なチーズ味の生ポテトチップスに近づけたという今までにないコンセプトと味で展開した。2008年からベニガンズの一部の人気店舗にMarket-Oブランドを追加し、ベニガンズにプレミアムなイメージを与えようとした。しかし2015年を最後に、韓国でも廃業することになる(現在では、アウトバックステーキハウスとT.G.Iのみ一部店舗が残っている)。これはおそらく、健康に対する関心が高まり、高カロリーと不健康なレシピに対する需要の減少がもたらした現象であり、本質を変えずに逆説的なマーケティングが一部は成功を収めたが、持続しなかったということを予測することができる。その後、サラダやサンドイッチ、生フルーツジュースのような比較的新鮮で健康的な食べ物と定義できるものから出発したフランチャイズの割合が増えたことがその事実を証明している。

私が大学生だった2000年代初頭には、チムダック、プルダック、チキンカンジュン、ヨギトッポッキなどが大変流行した。間食(スナック菓子)では、バブルティー、マカロンなど海外の有名なおやつが2000年代初頭に旋風的な人気を博した。この2つのお菓子は、最初に登場したときほどの人気はないが、多様性や品質の面でこつこつと発展を重ねて現在では完全に定着し、着実に愛されているアイテムに分類できる。このように、一部の本当に少数の品目は少しの変化と維持を伴いながら、韓国人が好きな一つのジャンルとして定着したものもある。

【バブルティーの登場と定着】
私が高校生だった2000年代初頭に初めて人気を博し、その後衰退するように見えたが、現在はGONG CHAを中心にいくつかのブランドが長く愛されて、マニア層が定着している。

 

2010年代

2010年代は何と言ってもカフェの大ブームについて話さなければならないが、外国企業であるスターバックス、コーヒービーンなどを除くと、2000年代中・後半から国内企業が作った巨大フランチャイズカフェ(代表的にカフェベネ、コーヒースミスなど)が人気で、カフェはその後一つの重要な文化となった。老若男女がカフェで会って話し、食べたり飲んだりすることが、一つの文化として定着したと言っても過言ではない。この流行は過ぎ去ることなく、10年以上、むしろますます多くのカフェ事業者が増加している。相変わらずフランチャイズコーヒーも需要があるが、最近の傾向は価格が安くてトレンディなメニューを扱う、低価格ブランドが新たに登場して人気を博していたり、自分たちだけの代表メニュー(シグネチャー)を披露し、直接豆を焙煎するなど、差別化を追求する個人コーヒー店の2つに分類が分かれる傾向がある。価格が非常に安いことをコンセプトにして成功する場合もあるが、コーヒーの味も上方で平準化され、それぞれの好みに合わせて選択の幅が広がったといえる。注目すべきことは、10年ほどの時間の間に本当に速い個体数の増加(量的成長)と共に品質(質的成長)についても、消費者の経験が増えるにつれて自然に向上しており、顧客層も分かれる傾向があり、販売者はこのことを分析してそれぞれの事業を成功させた。この状況と一緒に登場した別の傾向としては、ソーシャルメディアを通じて知られるようになれば、もはや食堂がアクセスしやすい位置にあるということは重要ではなく、人々に知られていない食堂やカフェを探し出して自分だけのリストを作り、この経験を基に、再び主観的な経験の情報をソーシャルメディアコンテンツで再生産しながら、新しい方法の広報戦略事業が定着するようになった。このようにすべての傾向と流れが繋がっていくため、人々は予測し、変化し、また個人的に知るよしもなく、互いに影響を与え合う流れがかなり強くなったと言うことができるだろう。

また、記憶に残っているのは、昔から親しまれているおやつだが、2010年代に新たに流行した品目として、クルミ菓子、ホットドッグ、焼き芋などの屋台スナックなどが「フランチャイズ化」され、単独の店舗として登場し、季節感や衛生面から脱却して、暫定的にそれなりの人気を博た。一方、台湾の大王カステラ、日本の長崎カステラ、ドイツのシュニバレン、台湾のサンドイッチ洪瑞珍など、多様な国や都市の有名な食べ物が韓国で大きく流行した。

このように20世紀末、韓国の食事は個性と独自性を維持する代わりに、集団性と大衆性などに敏感になり、トレンドに強く反応した。このうち、大半は単なる流行として流され、雨後の竹の子のように次々と誕生した店舗が、ある日突然次々廃業する姿を見ると、なぜそうしなければならないのか不思議でもあり、疑問でもあった。私がこのような流れを捉えるのが1990年からであったなら2000年代半ばからは捉えることを超え、一つの傾向と流れとして認識するようになり、なぜそのような現象が起こるのかについて、一度くらいは人々と話してみたかった。 個性的で自信のあるメニューを掲げた、自分だけの外食事業ではなく、単なる事業の手段として考える部分が理解しにくく、私ごとではないにもかかわらず、残念な気持ちさえ覚えた。

【マカロン】
バブルティーより長く愛され、ソウルにはフランス本土のマカロンより美味しいと評価される店もいくつかある。本来の平凡な見た目ではなく、サイズが大きくフィリングがたっぷりのトゥンマカロン、キャラクターが描かれたマカロンなども一時期流行したが、今はすっかり姿を消し、クラシックでおいしい店だけが安定した人気を誇っている。やはりマニア層がいる。

2020年代、コロナの時期を越えて

現在は、COVID-19の影響でデリバリーやテイクアウトなどの劇的な活性化、無人店舗やキオスクの使用の急増、コロナ以前からますます需要と開発が増えていたミールキット(Meal-kit)市場の急速な多様化と大衆化などが代表的な傾向だ。ミールキットに専念する一部の小さな会社が「ミールキット」という、当時新しい形式だったということ自体に焦点を当てて、生産・販売することが目的であったのに対し、コロナ禍の時期からはすでに有名な飲食店が続々とミールキットを開発・発売するのにそれほど時間はかからなかった。コロナ以降、フランチャイズ業界では「無人店舗」も好調だが、業態は様々だ。特にほぼすべての地域で見られる無人のアイスクリーム販売店や無人カフェを筆頭に、無人ミールキット専門店、無人コンビニエンスストア、無人ランドリーが指数関数的に増加した。 しかし、前述した過去の外食事業の流行傾向と異なる点は、この多くの店舗の中で目立つフランチャイズは特にないということだ。2010年代に入ると、商人や大衆は皆、オンライン上での他人の情報や評価に敏感になり、互いに積極的に影響を受け始める。このような新しい流れの代表的な例として、「モッパン」ユーチューブチャンネルを運営するユーチューバーの間で流行した食べ物は例えば、テッチャンクイ(ホルモン焼き)、マーラータン、プルダックシリーズのラーメン、トッポッキなどが大きく流行し、過去にすでに一度若者の間で流行したこともあるが映画「パラサイト」の余波で再び全国的にチャパグリが流行し、映画「極限職業(エクストリームジョブ)」のモチーフだった水原王カルビの丸鶏が実際のメニューとして登場し、流行した。そのほか、フィリングやトッピングが多様な、様々なブランドの手作りドーナツ、クロップル、ベーグル、ザンボンブールなどのベーカリー類、ダルゴナコーヒー、薬果などデザートやドリンクを問わず、流行する品目は生まれては消え、新たに登場する他の商品のトレンドに流されたりしながら、大衆の愛と関心そして新たな人気アイテムを作ろうとする努力が今も続いている。

今回は、数多くのブランドと品目の間を行き来しながら、30年ほどの韓国の外食文化について記憶を辿ってみた。私が見逃した部分もあり、おそらく記憶から消えているものもあると思うが、主観的にトレンドを振り返り、思い出とともに当時は気づかなかった大小の変化を返り見ることができた。経済成長とともに起きた社会の変化や、コロナウイルスのような予期せぬ災害など、予測をすることのできない流れの中、より広がった選択肢の間で過去の自分の道を繋ぐ試みもしてみたが、文章を読む皆さんはどのような動向を続けてきたのかが気になる。私たちが共に歩んできたこの時代を過ぎ、この次はどうなっていくのかも気にかかる。個人的な願いとしては、大きな流れに覆われるのではなく、それぞれの個性をより強固にできる時期が来ればいいなと思いながら、この文章を終える。

 

【ベーグル】
ベーグルの人気が高まり、専門店が多くできたのは数年前からだが、特にネギのベーグルが流行したのは昨年からだったと記憶している。クリームチーズの脂っこさを抑える、ニラを刻んで混ぜた後、フィリングとして使用したベーグルは韓国人の舌を魅了した。

【薬菓】
韓国の伝統菓子である薬菓は、朝鮮時代には貴重だった蜂蜜と米粉を混ぜて作る王様や貴族だけが食べられる高級菓子だった。現在は伝統的な方法で製作するケースはあまり残っていないが、年配の方に人気があるイメージがあったが、昨年から薬菓の人気が爆発的に高まり、それを活用したクッキーやケーキなどが登場するようになった。

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이번 에피소드는 지난 에피소드에서 다뤘던 한국의 먹방이나 맛집 배달문화에 대한 이야기에 이어서 한국의 식사 문화 중 두드러지는 현상인 유행 음식에 관해 이야기해 보려고 한다. 유행에 민감하게 반응하는 것은 패션, 음악, 음식 등 여러 분야 대중문화에서 드러나는 특징이다. 이러한 현상은 식사에만 그치는 것이 아니라 각종 간식이나 음료를 사먹거나 만드는 법에 이르기까지 다양했는데 나의 유소년-청소년기인 1990-2000년 대 부터 그 경향이 더욱 뚜렷했던 것으로 기억한다. 1990년대의 한국은 경제 성장에 맞춰 도시화가 완성 단계에 이르러 이른바 ‘세계화’에 몰두한다. 이것은 음식 분야도 예외가 아니었는데 1988년 서울 올림픽을 기점으로 해외 교류가 확대되는 한편 한국 음식에 대한 강조를 형식적으로나마 실천하게 되었고, 그 단적인 예로 1998년부터 전국 초등학교에 실시된 학교 급식에서 김치는 필수 반찬으로 지정한 것을 들 수 있다. 세계의 흐름에 발맞추고 싶으면서 또 표면적으로나마 우리의 것을 뿌리내리고 싶어 했던 그 시대의 경향에 대해서 이 작은 사건을 통해 유추해 볼 수 있다.

 

1990년대-2000년대 초반 한국 프렌차이즈 식당과 외식문화

내가 기억하는 조개구이 집의 모습 한 길에도 여러 집이 건너 건너 있을 정도로 흥행했다.

1990년대 대한민국은 경제력의 중심인 아파트, 그 아파트의 상가를 중심으로 배달 음식이 성장하고, 값싼 음식점이 골목을 채웠다. 대도시나 지방 도시 가리지 않고, 조금이라도 이름난 음식점은 프랜차이즈 영업 방식을 도입하여 전국적인 확산을 시도하였다. 이에 따라 역사와 함께 존재하던 오래된 음식점은 대부분 사라지고, 전국 어디나 비슷한 음식점들이 똑같은 메뉴, 똑같은 간판으로 들어서는 시대가 되었다.
몇 가지 기억나는 업종은 1990년대 중·후반 무한리필 조개구이 또는 고깃집의 유행, 그리고 다양한 브랜드의 패밀리 레스토랑 등이다. 특히 패밀리 레스토랑은 1988년 서울특별시 강남구 신사동에 개점한Coco’s(코코스). 이 브랜드는 미국 캘리포니아식의 음식을 공급하면서 국내 외식문화에서 패밀리 레스토랑을 선보인 대표적인 사례라고 할 수 있다. 피자헛, 맥도날드, 버거킹, KFC도 1990년대에 엄청난 흥행을 하였던 것은 분명하나 이를 발판 삼아 패밀리 레스토랑이 더 많은 이벤트와 음식으로 대중을 사로잡은 것이다. Sizzler(씨즐러), Bennigan’s(베니건스), Outback Stake House(아웃백 스테이크 하우스), T.G.I Friday’s(티지아이 이츠 프라이데이)를 비롯하여 외국 기업의 국내 프랜차이즈 형태로 수많은 패밀리 레스토랑이 등장하였다. 내가 중·후반고등학교를 다닐 무렵인 1990년대 후반- 2000년대 초반 가족 식사를 시작으로 이후에는 친구들과도 생일이면 파티하는 장소로 큰 인기가 있었다.

그중에도 개인적으로 좋아했던 브랜드는 베니건스인데 치즈 스틱, 통감자구이, 버팔로 윙이 함께 나오는 베스트 샘플러나 칠면조 햄과 치즈 딸기잼 등을 넣은 샌드위치를 튀김 옷을 입혀 슈거 파우더를 뿌린 몬테크리스토 샌드위치가 특별히 맛있게 느껴졌다(지금 생각하면 어마어마한 칼로리와 건강 타격의 레시피이다). 베니건스는 1995년 한국의 과자 회사 동양제과와 제휴하여 한국에서는 대학로에 처음 문을 열었다. 초기에는 각 지점별로 미국 주요 도시 이름을 내거는 콘셉트로 영업했다. 코엑스점은 시애틀, 이대점은 뉴욕, 해운대점은 마이애미로 이름 붙여 미국에서 들여온 느낌이 물씬 났던 기억이 있다. 그 외 요청을 하면 폴라로이드 사진을 찍어주고 노래를 불러주는 등 이벤트가 상당히 유행하였다. 한국에서는 상표에 대한 사용권한만 받고 영업하는 별개의 회사인 관계로 미국 베니건스가 부도가 났을 때도 계속 운영되었다.

내 기억 속 한국의 베니건스는 2000년대 초반까지도 어느 정도 인기를 유지했으나 중반 쯤부터 인기가 시들해지자, 변화를 시도한다. 건강한 이미지와 결합하는 마케팅을 시도 일부 성공하였는데 Market-O(Organic의 약자인 듯하다)라는 브랜드다. 베니건스가 고열량 서양식이 중심이라면 마켓오는 이와는 대조적으로 웰빙을 내세우는 콘셉트였다. 동양제과가 기본적으로 과자 회사인 점이 안정적이었기에 브라우니, 리얼 치즈 감자칩 두 가지가 비싼 가격이지만 좋은 재료로 가벼운 흉내가 아닌 제과에서 브라우니나 고급스런 치즈 맛의 생감자 칩에 근접하게 만들었다는 전에 없던 콘셉트와 맛으로 2008년부터 베니건스 일부 인기 있는 매장에 마켓오 브랜드를 추가하고 베니건스 프리미엄의 이미지를 주려고 노력하였다¬¬. 이마저도 2015년을 끝으로 한국에서 폐업하게 된다(현재는 아웃백 스테이크 하우스와 T.G.I 만 일부 매장 남아있다). 이것은 아마도 건강에 대한 관심이 높아지면서 높은 열량과 건강하지 못한 요리법에 대한 수요 감소가 불러온 현상이며 본질을 바꾸지 못한 채 역설적 마케팅이 일부 성공을 거두었으나 지속되지는 못한 것으로 예측해 볼 수 있다. 이후 샐러드나 샌드위치, 생과일주스 같은 비교적 신선하고 건강한 음식이라 정의 할 수 있는 것에서 출발한 프랜차이즈의 비율이 늘어난 것이 그 사실을 증명한다. 이후 내가 대학생이던 2000년대 초반 찜닭, 불닭, 닭강정, 엽기 떡볶이 등이 크게 유행하였다. 간식으로는 버블티, 마카롱 등 해외의 유명한 간식들이 2000년대 초반 선풍적 인기를 끌었다. 이 두 가지 간식은 처음 등장했을 때만큼의 인기는 아니나 다양성이나 품질에서 꾸준한 발전을 거듭한 현재까지 완전히 정착하여 꾸준히 사랑받는 아이템으로 분류할 수 있다. 이렇게 일부 정말 소수의 품목은 약간의 변화와 유지를 동반하며 여전히 머물러 한국인들이 좋아하는 하나의 종류로 정착된 것도 있다.

버블티의 등장과 정착 내가 고등학생인 2000년대 초반 처음 인기를 끌고 시들하는 듯 했으나 현재는 공차를 중심으로 여러 브랜드 들이 오래 사랑받으며 매니아 층이 확고해졌다.

2010년대

2010년대에는 뭐니 뭐니 해도 카페의 대호황을 말해야 할 것 같은데 외국 업체인 스타벅스, 커피빈 등을 제외하면 2000년대 중후반부터 국내 기업이 만든 거대 프랜차이즈 카페(대표적으로 카페베네, 커피스미스 등)가 인기 있었고 카페는 이후 하나의 중요한 문화가 되었다. 남녀노소 모두가 카페에서 만나 이야기하고 먹고 마시는 하나의 문화로 자리 잡았다고 해도 과언이 아니다. 이 유행 역시 지나가지 않고 10년 넘게 오히려 점점 더 많은 카페 사업자가 늘어나고 있다. 여전히 프랜차이즈 커피도 수요가 있지만 요즘의 경향은 아주 저렴하고 트랜디한 메뉴를 취급하는 저가 브랜드가 새롭게 등장하여 인기를 끌고 있고 또는 자신들 만의 대표 메뉴(signature)를 선보이고 직접 로스팅을 하는 등의 차별화를 추구하는 개인 커피 매장 두 부류로 나뉘는 경향이 있다. 아주 가격이 저렴한 쪽으로 컨셉을 잡아 성공하는 경우도 있지만 커피 맛도 상향 평준화되는 상황에 각자의 선호도에 맞게 선택의 폭이 넓어졌다고 말할 수 있다. 우리가 주목해야 할 것은 10년 정도의 시간 동안 정말 빠른 개체수의 증가(양적 성장)와 더불어 품질(질적 성장) 또한 소비자들의 경험이 늘어남에 따라 자연스럽게 향상되고 있으며 고객층도 나뉘는 경향이 있고 판매자들은 이것을 분석하여 각자의 사업을 성공한 것이다. 이 상황과 함께 등장한 다른 경향으로 소셜 미디어를 통해 알려지기만 하면 더 이상 식당의 접근이 쉬운 위치는 중요한 것이 아니고 사람들 역시 알려지지 않은 식당과 카페를 찾아 나만의 리스트를 만들고 이 경험을 토대로 다시 주관적인 경험의 정보를 소셜 미디어 콘텐츠로 재생산하면서 새로운 방법의 홍보전략사업이 공고하게 자리 잡게 되었다. 이렇듯 모든 경향과 흐름이 이어져 나오게 되므로 사람들은 예측하고, 변화하고 또 개인적으로 알지 못하는 서로에게 영향을 주고받는 흐름이 상당히 강해졌다고 볼 수 있을 것이다.
또 기억에 남는 것은 늘 인기 있는 예전부터 익숙한 간식이지만 2010년대에 새롭게 유행했던 아이템으로 호두과자, 핫도그, 군고구마 같은 길거리 간식 등이 ‘프렌차이즈’화 되어서 단독 매장으로 등장하고 계절 감각이나 위생에서 벗어남 등의 잠정으로 나름대로 인기를 끌었다. 한편 대만 대왕 카스텔라, 일본 나가사키 카스텔라, 독일 슈니발렌, 대만 샌드위치 홍루이젠 등등 다양한 국가와 도시에서 유명한 음식들이 한국에서 크게 유행했다.
이처럼 20세기 말 한식은 개성과 고유성 유지 대신에 집단성과 대중성 등에 민감도가 높아져 유행에 더 강하게 반응했다. 이 중 대부분은 그저 스쳐서 흘러가는 유행으로 우후죽순 생겨났던 점포들이 어느 날 또 잇따른 폐업을 하는 모습을 지켜보는 것이 왜 저래야만 하는가 신기하기도 하고  의문스러웠다. 내가 이런 흐름을 포착하는 것이 1990년부터였다면 2000년대 중반부터는 포착을 넘어 하나의 경향과 흐름으로 인지하게 되었고 왜 이런 현상이 생기는지에 대해 사람들과 한 번 쯤 이야기해보고 싶었다. 개성 있고 자신 있는 메뉴를 내세운 자신만의 외식 사업이 아닌 그저 사업의 수단으로 생각하는 부분이 이해하기가 어렵고 나의 일이 아님에도 안타까운 마음마저 들곤 했다.

버블티 보다 더 오래도록 사랑 받고 심지어 서울에 프랑스 본토의 마카롱보다 맛있다고 평가 되기도 하는 집이 몇 있다. 원래의 평범한 형태가 아닌 크기가 크고 필링이 넘치는 뚱카롱, 또는 캐릭터가 그려진 마카롱도 도 한 때 짧게 유행했지만 지금은 많이 사라지고 클래식하고 맛있는 집만 꾸준한 인기를 자랑한다. 역시 매니아 층이 있다.

2020년대 코로나를 지나

현재는 COVID-19 영향으로 배달 및 포장 음식의 극적인 활성화, 무인 매장과 키오스크 사용 급증, 코로나 이전부터 점점 수요와 개발이 많아지고 있던 밀 키트(Meal-kit) 시장의 급속한 다양화와 대중화 등이 대표적인 경향이다. 밀키트에 전념하는 일부 작은 회사들에서 ‘밀 키트’라는 당시로서 새로운 형식이라는 것 자체에 초점을 두고 생산하고 판매하는 것이 목적이었다면, 코로나 시기부터는 이미 유명한 식당들에서 너도나도 밀 키트를 개발하고 출시하는 데 그리 오랜 시간이 걸리지 않았다. 코로나 이후 프랜차이즈업계에 ‘무인 매장’도 강세인데 업종은 다양하다.

특히 거의 모든 동네에서 찾아볼 수 있는 무인 아이스크림 판매점과 무인 카페를 필두로 무인 밀 키트 전문점, 무인 편의점, 무인 세탁소가 기하급수적으로 늘어났다. 그런데 여기서 앞서 언급한 과거 외식 사업의 유행 경향과 한가지 차별점은 이 많은 숫자의 점포들 가운데 눈에 띄는 프랜차이즈는 딱히 없다는 것을 들 수 있다.

2010년대로 넘어가면서 상인들과 대중들은 너 나 할 것 없이 온라인상의 타인의 정보나 평가에 민감해지고 서로 적극적으로 영향을 주고받기 시작한다. 이런 새로운 흐름의 대표적인 예로 먹방 유튜브 채널을 운영하는 유튜버 사이에서 유행했던 음식 예를 들면 대창구이, 마라탕, 불닭 시리즈의 라면, 떡볶이 등이 크게 유행하고 과거 이미 한 번 젊은이들 사이에 유행했지만, 영화 ‘기생충’ 여파로 한 번 더 전 국민적으로 짜파구리가 유행하고, 영화 ‘극한 직업’에서의 모티브였던 수원 왕갈비 통닭이 실제 메뉴로 나와 유행했다. 그 외에 필링과 토핑이 다양한 여러 브랜드의 수제 도넛, 크로플, 베이글, 잠봉뵈르 등의 베이커리류, 달고나 커피, 약과 등등 디저트와 음료 음식을 가리지 않고 유행하는 아이템들은 생기고 또 사라지거나 다른 아이템의 유행으로 번지기도 하며 대중들의 관심과 사랑 그리고 또 새로운 인기 아이템을 만들려는 노력이 여전히 진행 중이다.

수많은 브랜드와 아이템들 사이를 오가며 30년 정도의 한국 외식 문화에 대해 기억을 더듬어 봤다. 내가 놓친 부분도 있고 아마 기억에서 사라진 것도 있겠지만 주관적으로 흐름을 돌아보며 추억과 함께 그때는 인지하지 못했던 크고 작은 변화를 되새길 수 있었다. 경제적  성장과 더불어 일어난 사회의 변화와 코로나와 같은 뜻밖의 재난 등 예측 불가능한 흐름 속에 더 넓어진 선택지 사이에서 지난 내 경로를 이어보는 시도도 했는데 글을 읽는 여러분들은 어떤 흐름을 이어 왔을지 궁금하다. 우리가 함께하는 이 시대를 지나 다음은 어떻게 흘러갈지 궁금하다. 개인적 바람으론 큰 흐름에 가려지기보다는 각자의 개성을 더 공고히 할 수 있는 시기가 왔으면 하는 마음으로 글을 마친다.

베이글이 인기가 높아지고 전문점이 많이 생긴 것은 몇년 전 부터 이지만 유독 쪽파 베이글이 유행한 것은 작년부터 였던 것으로 기억한다. 크림치즈의 느끼함을 잡아주는 쪽파를 다져서 섞은 후 필링으로 사용한 베이글은 한국인들의 입맛을 사로잡았다.

한국의 전통 과자인 약과는 조선시대에는 귀한 꿀과 쌀가루를 섞어 만드는 왕이나 귀족만 먹을 수 있는 고급 과자였다. 현재는 전통의 방식으로 제작하는 경우는 많이 남아있지 않지만 나이든 분들에게 인기가 있는 이미지가 있었는데 작년부터 약과의 인기가 폭발적으로 올라가면서 그것을 활용한 쿠키나 케익 등이 등장하게 되었다.

ソ・ダソム

서다솜
ソ・ダソム
1984年12月生まれ。
視覚芸術家

2007年3月 梨花女子大学 造形芸術大学 陶磁芸術専攻学士
2013年3月 ベルリン フンボルト大学交換留学生
2014年8月 梨花女子大学教員養成大学 教育大学院美術教育専攻修士

<経歴と活動>
2017年
・メキシコ メキシコシティにて
クラトインベルティド レジデンス入居作家(韓国文化芸術委員会後援)
・香港・Kong Galleryにて
ワークショップ “A Hundred Moons”

2018年
・韓国 光州 5.18記念文化センターにて
5.18記念文化財団 国際学術大会発表者「民衆美術,失敗で定義できない多衆の力」
・韓国 光州 アジア文化財団
ACC創作空間ネットワーク フィリピンパビリオンコーディネーター
・韓国 光州 ホットハウスにて
2018光州ビエンナーレ フィリピンパビリオン コーディネーター
・ノルウェー、スウェーデン、デンマークにて
北ヨーロッパ招待リサーチ(OCA ダニッシュアートカウンシル後援)

2019年
・韓国 光州にて
光州ビエンナーレパブリックリサーチプログラム 参加作家
ワークショップ “A Locality Observation in Gwangju”
ワークショップ “手にしたものはなんですか?”

2020年
・韓国 光州 ポボ食堂にて
ワークショップ “山のお菓子”
3人展「先に言う招待の言葉」企画、参加作家
団体展 “Amoeba” 参加作家

2021年
・韓国 釜山 芸術地球Pにて
個人展「失礼します、この近所にもしかして花屋さんはありますか?」
釜山 芸術地球Pレジデンス 入居作家

2022年
・韓国 光州 ヘユムにて
個人展「生きること、食べること、寝ること」
光州文化財団地域文化芸術特性化支援事業支援作家
・イタリア ベニス Spazio Berlendisにて
光州ビエンナーレ 5.18ベニス特別展示「花の咲く方へ」参加作家